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 もこもこした白い毛でできた雲が、おもしろいほど大きくなっていく。ブランシュをブラッシングし始めたら、驚くほど次から次へと毛が抜ける。ますます大きくなる白い雲から、ブランシュがもう一匹つくれそうだ。

 

 床に寝かされたブランシュのほうは、抜けていく自分の毛を、前足でとらえようとしたり、口でぱくっとつかもうとしたりしていた。そんなブランシュが、突然むくっと立ち上がり、ぶるぶるっと体を震わせてから、飛ぶようにして走り出した。そのせいで白い毛が宙に舞った。ユリウスはため息をついて、散らかった毛を集め始めた。

 

 しばらくしてから、ブランシュの戻って来る足音が近づいてきた。言葉が通じない相手だと分かっているが、言わずにはいられない。

 

「ブランシュ、せっかく集めた毛が散らかってしまったじゃないの。白い毛があちらこちらに落ちているから、ブラッシングしていたのに」

 

 言いかけたところで振り向いたユリウスは、あっと驚いた。会いたかった人が、こちらに向かって来るのが見えたのだ。

 

「レオニード!」

 

 一週間ぶりだ。ユリウスの胸に嬉しさがこみあげてくる。がっしりとした体に抱きついて、ほのかにする葉巻の匂いと、そのぬくもりをかみしめた。この一週間がどんなに長く感じられたことか。

 

 ユリウスの後について来たブランシュは、抱擁している人間たちをほんのしばらく見上げていたが、自分も仲間だと思ったらしい。なんと、後ろ足で立って、大きな体を伸ばし、二人の腕や肩に横から前足をかけたのだ。そのため、二人と一匹で抱きあう形になった。これにはユリウスも、弾けるように笑い出してしまった。

 

「ブランシュってば!」

 

 レオニードの目も笑っている。レオニードはブランシュの頭に片手をやりながら、もう片手でユリウスのあごを持ち上げて、唇をふさいで彼女の笑いを封じ込めた。

 

 ユリウスは、とろけるようなキスに酔いしれていたが、ふと見ると、レオニードの軍服に白い毛がくっついていた。

 

「ブランシュ、おまえのおかげで、わたしたちまで毛まみれじゃない?」

 

 ユリウスが犬をにらみつけたが、声は弾んだままだ。ブランシュも、嬉しそうな笑顔のままだ。

 

「換毛期だ。やむをえないだろう」

 

と落ち着いて言うレオニードの目元にも、軽い笑みが浮かんでいた。

 

    * 

 

 ブランシュがどういうわけかレオニードになついている。ベッドで横になったまま、ユリウスが疑問を口にした。

 

「ブランシュは、雪の上で倒れていたおまえを発見して以来、厩舎に行くと必ずいたからな。人なつこいのはサモエド犬の性質だろう。特になつかれているとは思わないが」

 

「わたしを見つけたのは、あなたではなく、ブランシュだったの?」

 

 ユリウスは、普段ぼんやりしていることの多い、おっとりとしたあのブランシュに助けられたことに、目を丸くした。さらに、レオニードから経緯を聞くうちに、いくつもの偶然が重なっていることを知って、ユリウスは言葉を失った。

 

 ブランシュが雪の庭でユリウスを発見したのは、偶然のことだ。その場にレオニードがいあわせたのも偶然だ。ブランシュが、雪の庭で何をしていたのか知らないが、もし、ユリウスに気づかなかったら、あるいは、気づいたとしても何もしなかったら、どうなっていただろうか。ブランシュは、のんきな犬なのだ。また、そのとき、その場所にレオニードたちがいなかったら、さらには、オレグがブランシュの後を追わなかったら、どうなっていただろう。

 

 これらのうちの一つでも欠けていたら、いまのユリウスは存在しないだろう。まるでつくり話のように偶然が重なった結果、いま、命があり、レオニードの温かい胸のなかにいられるのだ。奇跡というのは、こういうことなのかもしれない。カティアから聞いた、人生のめぐりあわせの様々な話とあいまって、ユリウスは偶然の連鎖に感じ入っていた。そこには何か未知の力が働いているようにさえ感じられる。

 

「オレグによると、ブランシュは、おまえを助けた私に一目(いちもく)置いているらしい。ブランシュにとっては、おまえは守るべき妹のような存在だと言っていたな」

 

 レオニードが珍しく軽口を叩いた。ユリウスがどんな反応をするか楽しんでいるようだ。彼の思惑どおり、ユリウスには、ちょっと衝撃的だった。

 

「ブランシュは、わたしより上だと思っている、ということ?」

 

「オレグによると、だ」

 

 レオニードは、口をとがらせたユリウスをなだめるように付け加えた。

 

 動物好きのオレグは、それぞれの動物の性質などを見抜くのがうまいらしい。こと馬にかけては、屋敷では彼の右に出る者はいないという。

 

「その後、あなたが一晩中わたしにつきっきりだったそうだけれども、わたしはどんな状態だったの?」

 

「体温が下がっていた」

 

 いつものように簡潔な答えだ。普通の人なら、ここで自分の手柄を誇張して相手に伝えるところなのに、彼は自らの手柄自慢には消極的だ。

 

「お医者様がいなかったのに、どうやって対処したの?」

 

 レオニードは、ユリウスの髪をなでるだけで答えない。ユリウスが再び尋ねると、軽く抱き寄せられた。レオニードの体温が伝わってくる。

 

 そのときに、「白いドレス」とユリウスがうわ言で繰り返していたことも聞いた。白いドレスが元凶なのか、白いドレスが必要なのか、レオニードは判断に迷ったが、ユリウスが目覚めたときに気づくように白いドレスを用意させたという。ユリウスは、めぐりあわせの妙に再び感じ入った。ユリウスの考え方が変わり、行動が変わり、人生の歯車の向きが変わったのは、その白いドレスを着てからなのだ。

 

 こんな会話をレオニードとするのは初めてだ。リュドミールに見せるような、穏やかな表情がユリウスに向けられていた。

 

 ユリウスは、レオニードの気持ちを確かめたくなった。

 

「わたしを助けたのは、皇帝陛下の保護命令のためでしょう?」

 

「ああ、それもある」

 

「命令がなければ?」

 

「人としての義務だ。ましてや、我が家の庭で凍死は歓迎できない」

 

 レオニードは目線をユリウスから天井に移した。珍しくレオニードの言動が安定していない。ユリウスは、心のなかで微笑した。義務感だけから助けられたとは思いたくなかったし、思えかった。

 

 前回、初めてレオニードがここに来たときのことだ。

 

「おまえが処女だとは思わなかった。奪ったことを、すまないと思っている」

 

 世間では道義をわきまえない貴族や富豪が横行し、無理やり純潔を奪っても良心の痛まない輩も多いが、彼は違っていた。

 

 それに、強く求めたのはユリウスのほうだ。レオニードの頬にキスをして、そのことを彼に伝えてから尋ねた。

 

「どうしてわたしが処女ではないと思っていたの?」

 

 答えが返ってくるまでに少し間があった。

 

「女が危険をおかしてまで追ってきた男と、何もなかったとは考えにくい」

 

 そして、声を落として続けた。

 

「さらに、おまえの様子がおかしくなったのは、憲兵隊に連行された後だ。もしや、と思ったのだ」

 

 つまり、暴行を受けた可能性も考えていたのだ。以前、そのときのことを尋ねられたとき、ユリウスは沈黙してしまった。レオニードがそれ以上追求しなかったのは、彼なりに案じていたのだ。ユリウスは、レオニードの胸に顔をうずめた。

 

 彼にずっとそばにいて欲しいと思う。彼の大きな体のぬくもりに包まれるときの心地よさを味わいたいし、何よりも、自分が求められ、大切にされているのを実感したいからだ。たとえ、男女のことにまだ十分に慣れないユリウスの体が、少し無理をしていたとしても。

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