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16

 

 翌朝、ユリウスは一人で目を覚ました。前日の夜の出来事が、夢なのか現実なのか、ぼんやりとしている。けれども、何も身に着けていないこと、そして、体の、特に中心部の痛み、シーツの汚れが、それが夢ではないことを告げていた。次第に、あのときの感覚がよみがえり、胸が熱くなった。

 

 暗闇のなかで、体の至るところを、愛撫されキスされたときの、侯爵の手や唇の感触。女性とはまったく異なる、たくましい腕や背中に触れたときに感じた、しなやかで強靭な筋肉質の体。肌と肌が触れあったときの恍惚感。徐々に荒くなる息づかいに感じた、彼の内側に秘められた情熱。初めて男性を受け入れたときの痛みが走った後も、自分が求められていることに喜びを感じていた。そのときの官能が、ユリウスの体にいまだに残っているようだった。

 

 ユリウスは、ベッドのうえで裸のまま、彼が愛撫しキスして求めた自分の体を眺め、彼がもみしだいた乳房を手で触ってみた。彼の手は、もっと大きく、もっと重みがあって、もっと心地よかった。

 

 侯爵とともに夜を過ごしたことは、不道徳なことだと理解してはいるが、ユリウスは後悔していなかった。また抱かれたい、とさえ思ったほどだ。それは、人肌のぬくもりに飢えていたユリウスにとっては、あらがいがたい欲求だった。

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 しかし、二人の関係の変化は、ユリウスがこの屋敷から離れるという侯爵の決定に、何の影響も及ぼさなかった。秩序ある侯爵家では、主の決定は間違いなく実行されなければならないのだ。ユリウスのほうも、交換条件のために彼に抱かれたわけではないので、それを理由に抗議するつもりもなかった。

 

 ヴェーラやリュドミールに挨拶をする間もなく、その日のうちにユリウスは馬車に乗り込んだ。こみあげてくる寂しさを抑えられずに、声を押し殺して泣いた。

 

 出発まぎわになって、白いふさふさとしたものが、馬車に飛び込んで来た。驚いて顔を上げたユリウスの眼前にブランシュの顔がせまっている。あっという間に、ブランシュはユリウスの膝に足をかけて、勢いよく顔をなめ始めたので、そのくすぐったさに、ユリウスは泣きながらも笑い出してしまった。顔がぐしゃぐしゃになっていたことだろう。ブランシュは、ユリウスの顔を気が済むまでなめると、今度はユリウスの膝にあごをのせて、甘えるようにキューンという声を出した。

 

 ――おまえだけは、わたしを見捨てないんだね

 

 ユリウスが白い背をなでていると、馬車のそばでオレグの声がした。

 

「連れて行ってやりなさい。番犬には不向きな犬ですが、お嬢さんのことが大好きですから」

 

 ユリウスは馬車からいったん降りて、オレグにお別れの挨拶とキスをした。

 

「ありがとう、オレグ。これまでのご親切に感謝します。またお会いできると……」

 

 涙で声がかすれて、それ以上続かなかった。馬車に揺られている間もずっと、ユリウスは泣きながら、ブランシュの背をなで続けた。

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   *

 

 春の訪れが近いというのに、どんよりとした寒い日が相変わらず続いている。こんな日に、たった一人で過ごしていると、孤独感がいっそう増してくる。ユリウスは縫物の手を止めて、今にも涙が出そうになるのをこらえていた。気を取り直そうと、ブランシュの姿を探した。

 

 壁ぎわに置いた木箱の上で、ブランシュがあごを置いて、目を半開きにしたり、閉じたりしている。ブランシュは、ソファのような一段高い場所が好きだ。一時的に置かれたその木箱がすっかりお気に入りになり、その上にいすわるようになった。部屋の美観上、ユリウスは木箱を取り去ろうとしたが、ブランシュの悲しそうな目に負けて、そのまま置くことにしたのだ。

 

 典型的なサモエド犬のブランシュは、ふんわり笑っているような顔つきをしている。その穏やかな顔で、ゆったりと過ごしている姿を見ると、ユリウスの気持ちも落ち着くのだった。

 

 突然、うとうとしていたはずのブランシュの耳が、ぴくりと立った。そして上半身を起こして、ほんの一瞬考えるような仕草をした後、一目散に玄関をめがけて走り出した。その様子が、おかしくもあり、可愛くもある。何かあったのだろうと、ユリウスも部屋から出ると、家政婦のペトロワが現れ、侯爵の来訪を告げた。

 

 侯爵が、ブランシュを従えるようにして階下で立っていた。まるで侯爵がブランシュの主人のようだ。ブランシュは人なつっこい犬だ。威嚇(いかく)したり吠えたりもしない。オレグの言っていたとおり番犬には不向きだ。ユリウスを見上げて立っている侯爵のそばで、尻尾を激しく振って、舌を出して嬉しそうにしている。精悍(せいかん)な軍服姿の侯爵と、どこかしら間の抜けたような愛嬌のあるブランシュが並んでいる様子がおかしくて、ユリウスの口からくすっと笑いがもれた。侯爵にはユリウスが微笑したように見えただろう。

 

 ユリウスには、侯爵に言いたいことが山ほどあったが、何をどう言ったらいいのか、とまどっていた。悲しみと怒りの感情が混ざりあっているのに、侯爵の存在感のある姿を見たら、ユリウスの胸はおどり出してしまったのだ。だが、何とか平静さを装って階段をおりた。

 

 その優雅なユリウスの動きを侯爵の目が追っている。その彼の視線が、またさらにユリウスの心臓を波打たせる。

 

「元気だったか?」

 

 そっけない侯爵の問いかけに対して、ユリウスは、ここにはヴェーラもリュドミールも、そして、オレグもいない寂しさを率直に訴えた。侯爵も率直に返した。

 

「我々の関係を考慮すると、屋敷に滞在するのは適切ではない」

 

 二人の間に変化があった以上、屋敷にはいられないことは、ユリウスにも理解できる。ヴェーラや幼いリュドミールの手前もある。夫人は、ほぼ別居状態とはいえ、何かの行事のおりには屋敷に滞在することもある。だから、二人の関係を続けるなら、侯爵邸ではなく、別の場所がふさわしい。

 

 あるいは、そういう関係を避けるために、住まいを別にして、ユリウスとの距離を置くつもりなのかもしれない。どちらなのだろうか。

 

 それに関しても、侯爵の返答は簡潔だった。

 

「おまえ次第だ。おまえが望まないのなら来ない」

 

 彼が今後ここに来るとしたら、その目的は単なるご機嫌伺いではないだろう。彼とのこれからの肉体関係を受け入れるかどうかは、ユリウスに決定権があるような言い方だ。ユリウスは、しばらく躊躇したが、自分の気持ちに従うことを選んだ。そして、侯爵を見上げて、彼の目を見て言った。

 

「わたしは、あなたに来て欲しいと思っています」

 

 侯爵はうなずくと、ユリウスの手を取り、寝室へと向かった。侯爵の体から発散されるエネルギーを感じて、ユリウスの胸の鼓動がいっそう大きくなった。

 

 二人の後ろを軽快な足取りで追って来たブランシュは、寝室の前で締め出しをくらった。侯爵の威厳ある声にブランシュは素直に従った。

 

 くもっているとはいえ、まだ日没前だ。昼下がりの自然光のもとで、自分の裸体が侯爵の熱い目にさらされている。初めてのときは暗闇のなかだったが、今回は、彼の強い視線を素肌に感じ、ユリウスは羞恥心でいっぱいになった。

 

 いっぽうで、いつもは軍服の下に隠されている侯爵のたくましい肉体を、初めて目の当たりにした。筋骨のがっしりした肩、広い背中、厚みのある胸、きたえられた太い腕、引き締まった腹部、その下にある力強い男の部分。すべてが官能的で、ユリウスは陶然となった。
 

 そして、侯爵にされるがままに体を開いていった。

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