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女と男 ー1912ー

印象的な後ろ姿だった。 
無造作に後ろでまとめた金髪が光に反射し、波打っていた。
ちらりと横を向いた時にみえた端正な横顔。美しい。はっきりと見えなかったからこそ、想像力がかりたてられ、より一層美しさを感じさせるものだ。 
この屋敷で、こんなアンドロギュヌス的な美に出会えるとは、大収穫だ。
まさしく目の保養だ。
新たな美との邂逅に感動しているうちに、すぐに姿を消してしまった。あたかも幻影を見たかのようだった。ますます興味が駆り立てられる。
カーキ色の長めの丈の乗馬用ジャケットに身を包んだ姿は、遠目では男性にも見えるが、男装の女性だろう。

アンドロギュヌスの取り巻きのような少年が隣にいた。おそらく従弟だ。士官学校の制服姿が、まだ大人になりきらない初々しさを感じさせる。ずいぶん背が伸びたものだ。成長まっただなかの若木のようだ。イギリス留学前に会ったときは、まだほんの子どもだったが、あの様子では、僕の背を追い越しているだろう。

あのアンドロギュヌスは彼の友人か。ぜひ紹介してもらわねば。


屋敷の主が現れた。

相変わらず堂々たる姿だ。威厳ある軍服姿の従兄は、男らしさがにじみ出ている。男の色気が一層増したようだ。がっしりした肩、厚い胸板、逞しい腕。軍服の下には、ポセイドンのような美しい体躯が隠されていることだろう。

彼に相対すると、心地よい緊張感が走る。前回会った時には、カミソリのような鋭さを感じたが、今目の前にいる従兄は、ゆったりとした大人の男の余裕が出ている。最近ますます、女性たちの間で株が上がっているらしいが、男の目から見ても十分魅力的だ。


「久しぶりだな、フェリクス」

低く響く声が、僕の脳を刺激する。

「ああ、挨拶に来るのが遅れて申し訳ない」

僕たちは軽く抱擁を交わした。従兄の逞しい体を感じる。

「帰国後も、外出先に不足はなかったようだな。とうとう、出かける先が尽きたのか?」

従兄がからかうように言う。イギリス留学から帰国後は、ロシアが誇る、バレエ、演劇、オペラを堪能し、男友達とのたまり場に入り浸っていたことは耳にしているらしい。


「遅くなったが、結婚おめでとう、レオニード」

ちょっとした贈物を差し出した。今日は、この従兄の再婚祝いを述べに来たのだ。

この堅物の従兄が離婚して間もないうちに再婚したと聞いた時には、誰もが耳を疑った。前妻のアデールの方が、先に再婚するだろうというのが、大方の見方だった。しかし、そのアデールはまだ再婚していない。


レオニードは堅苦しく謝意を表明し、母に世話になったことに言及した。

「結婚式は内輪だけで執り行ったんだって?母からは、再婚といえど、まがりなりにもユスーポフ家の当主の結婚式は、もっと盛大に行うべきだった、と今でもことあるごとに聞かされているよ。おかげで、結婚披露パーティーでは、母がでしゃばって、大がかりに開催したそうだが」

レオニードは、軽く笑った。以前より表情が柔らかくなったようだ。

「お母上の生きがいだからな。その結果、妻も社交界で認められつつある」

「飾り気のない人柄が評判だよ。ところで、その噂の奥方を紹介してくれないのかい?」


そこに現れたのは、先ほどの金髪のアンドロギュヌスだった。やはり女性だった。遠目で見るよりも、ずいぶんフェミニンだ。

これがレオニード の妻。


微笑んで、乗馬のあとで着替えもしないで現れたことを詫びた。髪は無造作に後ろでまとめたままだ。この飾り気のない潔さが、彼女の美しさを引き立てている。

彼女以外の女性だったら、僕には隣の厳めしい従兄の方にしか目がいかなかっただろう。僕はこの屈託のない笑顔に惹かれた。


母が強要した結婚披露パーティーでは、女性らしさが際立っていたと聞いていた。

上質だがシンプルすぎるほどすっきりとしたドレスで、宝飾品も最小限に抑え、夫に寄り添う姿が、勲章をいくつも付けた煌びやかな礼装姿の夫とすばらしい対をなしていたらしい。その潔いシンプルさが好評だったそうだ。もちろん、ユスーポフ家をいつも擁護する母の力もあるだろう。だが、その母も本心から褒めちぎっていた。母の社交界における発言力は絶大だ。


母がまた大きなチャリティーパーティーを開催するという。


僕は、あるアイデアを思い付いて、奥方と出席させてほしいと従兄に頼んだ。母の主催する大規模でしかも社交界の注目する催しに、新婚の人妻をエスコートするのは非常識なのは承知している。堅物の従兄と天真爛漫そうな夫人に、パーティを盛り上げるためだと説明した。

奥方は、僕に面白いアイデアがあることを察したらしい。隣で渋い顔をしている夫とは対照的に、侯爵夫人の目が輝き始めた。

「おもしろそう!いいでしょう、レオニード?」

我が従兄は、今にもため息をつきそうだ。

逆に妻の方は心から楽しんでいるようだ。夫は妻の笑顔に逆らえないらしい。この奥方は、堅苦しい従兄とは違うようだ。仲睦ましくやっているという噂だが、うまくいっているのが不思議だ。

奥方が夫の頬にキスをすると、威厳ある従兄がいとも簡単に降伏した。彼の部下が見たら失望するか、親近感を持たれるかのどちらかだろう。あのロストフスキーは苦々しく思っているに違いない。



ざわついていた会場が、一瞬にして、水を打ったように静まり返り、一斉に視線が僕たち二人に注がれた。こういう視線を浴びるのがたまらなく好きだ。ユリアは、あまりの注目度に最初はうろたえていたが、僕が自信たっぷりに彼女に微笑みかけると、彼女も微笑んで僕に従った。

僕たちの正体に気付いた母は、吃驚のあまり、手に持った扇を落としそうになったようだ。しかし、息子の性癖と日頃の行状に知悉し、寛容で、茶目っ気があり、衆目のなかでは動揺を見せない母は、素知らぬ顔をして、僕たちのところに挨拶にやって来た。

「ようこそ、エルストン伯爵夫人。このつまらないパーティーによくぞお越しくださり、感謝にたえませんわ。ぜひとも、伯爵夫人のお力で、精彩を加えていただきたいものですわ」

母は広げた扇で口元を隠し、笑いをこらえている。

僕が女装するときは、エルストン伯爵夫人と名乗っている。

「あなたもお気の毒なこと。伯爵夫人の茶番に付き合わせられるなんて。心からご同情申し上げますわ。ユーリー?」

正体は分かっていると、ほのめかしながら彼女に耳打ちする。彼女は、軽く微笑みながら、プチャーチナ公爵夫人に優雅にお辞儀をした。


僕たちが、シャンデリアの煌めくフロアに出ると、さらに衆目を引いた。

楽団の演奏に合わせて、宝飾品で重量感のある僕と、飾り気のないかろやかな彼女は、輪を描きながら踊った。

動く度に、僕の頭上の重量感のあるティアラ、首にかけられたラ・ペルグリーナという大きな真珠とルビーがあしらわれたネックレス、長い手袋をはめた腕の重そうなブレスレット、富を見せつけるような巨大なルビーの指輪が、シャンデリアの光に反射する。金糸があしらわれた白いシルクの重厚なドレスが、勢いよく動く。

一方のユリアは、金ボタンのあしらわれたグリーンのシルクベルベットのコート(ジャケット)、その下には白のシルクのベスト、白いボウタイを着用していた。足元はバックル付きの靴だ。数年前にイギリスで始まったフォーマルな装いだ。

シャンデリアに煌めく青い瞳と金髪もまた魅力的だった。男のように見えるが、女のようにも見える、ミステリアスな美しさ。

女性の誰もが、値段がつけられないほどの宝石類やドレスにため息をつき、毒々しい女性に付き従うアンドロギュヌスのような存在に、目が釘付けになっていた。

踊り終わると、僕たちは、割れんばかりの拍手喝さいを浴びた。


ほとんどの出席者は男と女が入れ替わっていたことに気付くまい。ユリアは男のように見せるのに長けていた。他の女性では、こんな芸当はできなかっただろう。

しかし、ヴェーラをともなって出席したレオニードの表情は険しかった。

女と男が入れ替わっているにしても、紛れもなく、男女一組が踊っているのだ。しかも片方は、形式上は彼の新妻だ。


帰宅後、夫婦間で一悶着あったそうだ。しかし、その晩のうちに仲直りしたという。他人に決して自分の心の弱さを見せることのなかった従兄が、ユリアに対しては本心を明らかにするようだ。終始よそよそしい仲だったアデールに対する態度とは違う。


それ以来、ユリアと僕は気兼ねのない仲になり、忙しいレオニード の代わりに、演劇やオペラ、バレエにエスコートした。いや、エスコートというより、友人として同行したといった方が正確か。僕と出かける時は、アンドロギュヌスは、たいてい男装していたのだから。


僕たちは、友人として振る舞っているつもりだが、世間はそうは思わない。前侯爵夫人が夫以外の男とばかり外出していたことは、有名な話だ。 

あのパーティーのときの女役が僕で、男役がユスーポフ侯爵夫人だったという噂が広まっていた。

そして、さらに噂が飛び交った。

無垢なユスーポフ侯爵夫人は、フェリクスの悪い影響を受けた。

女運の悪いユスーポフ侯爵は、二回目の結婚も失敗した。

恐妻家のユスーポフ侯爵は、相変わらず妻一人の管理もできない男だ。



だが、侯爵夫妻をよく知る者は知っている。

彼女にとっては、レオニード が最優先なのだ。彼の姿を見つけると、真っ先に駆け寄っていく。近寄りがたい存在の従兄には、そんな妻が、愛しくて仕方がないようだ。


そんな仲睦まじい夫婦のありようが、徐々に世間で理解されるようになっていった。

寛容なユスーポフ侯爵と自由気ままな侯爵夫人。

それは、前妻の時と同じだが、何かが決定的に違っていた。

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​劇場でのアンドロギュヌス

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